なぜ托卵は魂の殺人と呼ばれるのか?【レイプとの違い】

托卵による魂の殺人 未分類

魂の殺人とは、元々虐待を受けた子が生涯にわたって受け続ける苦痛・苦悩から生まれた言葉です。

それが転じて「強姦」「托卵(他人との子を隠して夫に育てさせる行為)」のように個人のプライドをズタズタに切り裂き、一生涯苦痛を与える行為にも使われるようになりました。

不同意性交罪 「魂の殺人」を許さない社会に
【読売新聞】 同意のない性交を強いられた被害者は、心に深い傷を負う。性暴力は許されないという意識を、社会に浸透させる契機としなければならない。性犯罪の規定を大幅に見直す改正刑法が施行された。「強制性交罪」の名称を「不同意性交罪」に

しかし、一部の女性から「托卵は単なる不倫。性被害と一緒にしないで欲しい」という心無い声が上がっています。

男性が女性の性被害に無頓着なように、女性もまた男性の托卵被害に無頓着というわけです。そこでこの記事では、なぜ托卵が魂の殺人と言われるのか、女性の方にもわかりやすく解説します。

レイプが魂の殺人である理由

深刻なレイプの問題

托卵について説明する前に、まずなぜ強姦(レイプ)が魂の殺人なのかおさらいします。

女性にとってレイプされる苦痛は

  • 物理的に身体を痛めつけられる身体的苦痛
  • 身体を物のように使われる精神的苦痛
  • 望まない子を妊娠するかもしれない種としての敗北

に分けられます。

このような苦痛によってトラウマ(PTSD)を発症し、男性恐怖症に陥ったり、日常生活をまともに送れなくなったりすることもあり、女性にとってレイプとはそれだけ大きな被害になります。

魂の殺人と言われるのはこのような理由からです。

ちなみに「身体を物のように使われる精神的苦痛」に関しては痴漢や夫婦間での不同意性交も同じなので、それらを魂の殺人として扱うフェミニストも一定数います。

托卵が魂の殺人である理由

一方で托卵被害の苦痛はこのようなものです。

  • 愛する人に裏切られた精神的苦痛
  • 愛する我が子が裏切りの産物という精神的苦痛
  • 他人の子を育てなければいけない精神的苦痛
  • 自分の遺伝子を受け継ぐことができない種としての敗北

レイプと大きく違うのは「体を傷つけられる」という物理的苦痛がない点です。しかし、托卵が発覚し女性を信じることができなくなってPTSDを発症することもありますから、「心を殺す」という意味ではやはり大きな罪です。

このことから、托卵は魂の殺人だと言われています。

托卵被害は生物としての敗北を意味する

なぜ托卵が単なる「浮気・不倫」と違い、魂の殺人とまで言われるのか?これが女性にはピンとこないと思います。

最も大きな理由は「生物・種としての敗北」です。

人間は理性的とはいえ、基本は動物です。最終的な目的はより多くの遺伝子を後世に受け継ぐことにあります。

男性は自分で子を産めませんから、女性に託すしかありません。そのために多くのリソースを女性に注ぎ、子が生まれてからもできるだけ良い暮らしをさせてあげられるように、仕事などを頑張ります。

しかし托卵が発覚すると、それら全てが無駄な頑張りであったことがわかります。愛する妻や子に裏切られただけでなく、今までの努力も無駄になり、自分の遺伝子も受け継げず、子に対する愛情と妻に対する怒りの狭間で苦しみながら、何もかもが奪われたように感じます。

生きる意味すら失ってしまう。これが生物としての敗北です。

何もかも奪われる生物としての屈辱

女性の場合、自分が子を産めば100%自分の遺伝子が後世に残る確信が持てます。配偶者の裏切りに対する苦痛は男女とも同じですが、この「生物としての屈辱」は女性には想像し難いものだと思います。

男性における托卵被害の重さが女性側に伝わらないのは、残念ながら生物的に仕方のないこととも言えます。

ありえないシチュエーションで無理やり伝えるのであれば、「イケメン夫との子供を産んだと思ったら、実は自分の子はすでに亡くなっていて、自分の子だと思って育てていたのは愛人の子だった」みたいな感じでしょうか。

それに加えて、最終的に夫も子供も家も財産も全て愛人に取られる。みたいなシチュエーションを想像してもらえれば、少しは伝わるかと思います。このありえないシチュエーションが実際に社会で行われているのが、男性側の立場です。

托卵もレイプも、合理的な側面はある

托卵やレイプの問題

とはいえ、托卵の罪の重さを理解できない女性がいることは不思議ではありません。托卵する女性側からすれば托卵はある意味合理的な行為だからです。

好きだけど経済力のない男性との子供を、好きじゃないけど経済力のある男性に養ってもらうわけですから、メスとしては賢い戦略です。

そしてレイプもまた、男性にとってある意味合理的です。

好きだけど自分を拒絶する女性に一方的に子を産ませることができれば、本来女性と結ばれるために必要なリソースを無視して快楽は満たせるし遺伝子も残せるわけですから、動物的な戦略としては間違ってはいません。(実際自然界では無理やりメスを襲う動物も多いです)

お互いの苦痛をいまいち理解しきれない人は、理性より本能を重視する傾向にあるのかもしれません。

罪の重さを比べて競い合うのはやめるべき

お互いを認め合う未来

しかし、当事者からすればどちらも大きな苦痛に変わりはありません。

レイプは殺人と同等だけど、托卵はそうではないと決めつけられることの残酷さは当事者にしかわからないでしょう。たとえば、いじめられている男の子に対して「たかがイジメでしょう?女性の性被害に比べたらそんなの大したことないよ」なんて声をかける人がいたら、軽蔑しますよね。

もちろんこれは女性に対しても同じで、性被害の告発に対し何も知らずに茶化すことは言語道断です。

被害の重さを比べて「自分の方が可哀想」とアピールするのではなく、お互いにお互いを理解し協力していけるような社会にしていきたいですね。

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