フェミニズムの歴史は「第一波〜第四波」の4つの波に分かれています。

上の記事では、最近のフェミニズムは「被害者救済」のためのフェミニズムであるため、加害者撲滅のため男性を叩いたり、被害者でない女性には逆に敵対的であるということを説明しています。
しかし、一方で現在のフェミニストは「被害者救済」というワードだけでは説明できないような、不可思議な動きをすることもあります。
たとえば、フェミニストは「ホストクラブ」を批判しません。女性被害者救済を掲げるのであれば、金銭的にも肉体的にも搾取されがちなホストクラブはフェミニストの敵です。しかし、著名なフェミニストがホストクラブを名指しで強く批判しているのを見たことがありません。
この理由について、わかりやすく説明します。
フェミニストにとっての被害者救済活動は4つ

実は、フェミニズムにおける「女性被害者救済」には4つのアプローチがあります。
- 被害女性支援(被害者に寄り添う活動)
- 加害者の撲滅(加害者を糾弾する活動)
- 女性への啓蒙(男性は恐ろしいという啓蒙活動)
- 被害の未然防止(犯罪者予備軍を減らす活動)
このうち、現在のフェミニズムにおいては2〜3番が特に活発に行われています。理由はいくつか考えられますが、最もわかりやすい理由として被害女性支援はケアワーカーなので地味ですが、2〜3では強い言葉で他人を批判する「正義の味方」になれるから。というものがあります。
正義の味方に憧れるフェミニスト
正義の味方は「悪を叩く瞬間」が一番輝く
この「正義の味方になりたい」という欲求を考えれば、なぜフェミニストが批判ばかりしているのかがわかります。
スーパーヒーローが最も輝くのは「悪をぶちのめす瞬間」です。見ず知らずのホームレスに、パン一切れを差し出す瞬間ではありません。そんな地味な活動を1年続けるより、今目の前の巨悪に立ち向かった方がヒーローごっことしては楽しいのです。
だから、多くのフェミニストはケアワーカーになることより、悪を糾弾するヒーローになることを選択します。その中には本当に女性を救うヒーローになりたい人もいれば、悪の組織(男性)に酷いことをされた恨みが原動力になっている人もいるし、他責思考によるストレス発散が目的の人もいますが、とにかく今のフェミニストにはヒーロー志望が多いのが現状です。
叩くことに正当性がないと、ヒーローにはなれない
しかし、フェミニストも馬鹿ではないので、誰彼構わず当たり散らしているわけではありません。「叩くことに正当性のあるコンテンツ」を選んで批判しています。
そこに正当性がなければ、ヒーロー活動は失敗に終わり、場合によっては逆にフェミニスト界隈や女性から叩かれて活動の場を失います。だから、フェミニストが叩く対象は「多くのフェミニストや女性にとっても憎むべき存在である必要」があります。
ホストクラブを叩くことは正当性を得づらい
以上を踏まえた上で、なぜ「ホストクラブ」が叩かれないのか?を考えると、理由は「叩くことに正当性がない」ということが考えられます。
たとえばホストクラブは、確かに女性の搾取に繋がりますが、一方で「イケメンと楽しく話せる」ことは女性にとって救済にもなります。ホストクラブ全体を叩いてしまうと、「ホストを救済だと考える女性」から反発されるおそれがあります。
被害者救済を謳うフェミニストの中には、弱者女性をターゲットに活動している人も相当数いますから、弱者女性の救いの一つになりえるホストクラブは「叩きやすい対象」とは言えません。
そのようなリスクのある悪を叩くよりも、もっとわかりやすい悪を叩いた方が、手っ取り早くヒーローになれます。これがフェミニストがホストクラブを叩かないシンプルな理由です。
フェミニストは「身内の悪行」には甘い
また、基本的にフェミニストは身内には甘いです。フェミニスト系の議員や活動家によく見られますが、自分の所属団体や支持団体から、女性への性的暴行などの逮捕者が出た場合、それに言及することはありません。
有名な話では、たとえば一般社団法人Colaboの支援者であるホザナ・ハウスの牧師・森康彦氏が、覚醒剤を用いた女性への性的暴行で逮捕された時、それを批判した著名なフェミニストはいませんでした。それどころか、一部の新聞社は本来「女性への性的暴行」という許せない事件であるにも関わらず記事を削除し、庇うような動きも見せています。
ホストクラブとフェミニストの繋がりがどこまであるかはわかりませんが、もし繋がりがあるなら、何か事件が起きても炎上する可能性はかなり低いと考えられます。
フェミニストの正義の行方

まとめると、現在のフェミニストは「巨悪を叩く正義のヒーロー」に憧れていて、ホストクラブを叩くことには「正義としての正当性」が得られづらいという話でした。
正義の味方になりたいなら相手が誰であれ糾弾する姿勢を見せるべきですが、フェミニストといえど所詮は普通の人です。我々が見返りのない奉仕活動を綺麗事として揶揄するように、フェミニストもまた「自分へのメリットがない活動」に対しては消極的。フェミニストが悪いのではなく、彼女たちもフェミニストというステータスを剥げばごく普通の無名な凡人であるという、ただそれだけの話です。
ちなみに同じ理屈でなぜ「おじさん」「オタク」「萌え絵」が叩かれやすいのかも説明できます。それらは社会的にも「気持ちの悪いもの」と認識されやすいので、フェミニストにとってまさに格好の餌食となります。
一方で、最近は男女共に萌え絵に肯定的な人も増え、女性でも男性向けコンテンツを好む人は少なくありません。その結果、フェミニストの「正義の行い」が思うような結果を得られず、逆に反発されるということも増えています。
今後のフェミニストが社会でどのような立ち位置になっていくのか。彼女たちの行動原理を理解しながら、注意深く観察していく必要がありそうですね。